『しんがり』 感想

先週末、友達と会ってご飯食べて別れたあと、紀伊国屋書店でふと目に留まった帯。
「会社が消えても 誇りは消えない」
その下に、こう書いてあった。
「1997年、名門・山一證券の破綻時に最後まで筋を通した無名の社員たちがいた。感動の実話。」


東芝にしろVWにしろ、最近世の中が騒がしい。
先に報告した通り、システム側とはいえ監査系の資格の勉強をした関係もあり、また日本を代表する電機会社の問題ということもあり、東芝の件については個人的に強く関心を抱いている。
外部監査のあり方と、企業内部の不正問題。
昼に友達がぼそっと漏らした 「息ぐるしい」 という言葉を思い出した。


彼女は公認会計士で、例の不正会計問題が外部監査や上場企業にもたらしたインパクトを直に感じている。
しかし言うのだ。「外部的な監査の手続きには問題がなかった。外部監査では限界なんだよ」
別に自分は会計士でもなんでもなく、監査実務もしたことはないが、公開されている情報をちらちら見る限りでは 「そうだろうな」 と思う。
それに、外部監査は最終的なセーフティネットや抑止力として機能すべき仕組みであって、それ自体が 「不正を生み出さない企業体質」 を作り出すものではない。
もっと根本的な企業側の問題があるというのが個人的見解だ。


・・・とまあ、そんなことをぼんやり考えていたものだから、書店で平積みになった 『しんがり』 の帯を見て心に響くものを感じ、気づけばろくに中身も見ずにレジに並んでいた。
企業不正が明らかになって破綻まで追い込まれたその時、残された社員はどうしたのか。


山一證券がまさに破綻したその当時はまだ中学生だったが、新聞やテレビで大騒ぎしていたことだけはハッキリと覚えている。
当時は 「ふうん、なんか大変そうだな」 と思ったくらいだったが、経済にも多少の興味を持つ大人になったいま、山一破綻の経緯とその内情を知って 「ああ、こんなに大変なことが起きていたのか」 と驚きを禁じえなかった。


この日経ビジネスの記事で、経営共創基盤の冨山氏が東芝VWの事件について 「共同体経営」 の構造に由来する問題点を指摘しているが、まあ本質は山一破綻についても同じ。


経営陣が問題を把握している中で、トップダウンで組織的に問題を隠蔽する圧力が掛かり、共同体の中で生きて行くサラリーマンは個々にその不正に加担する。
不正を見過ごせないタイプで共同体の論理や同調圧力に反発する社員は左遷されたり社外へ追い出されたりして、結局は不正を是正する機能と力を失う。
ざっくり言うとそんな感じだ。ある意味、企業におけるガバナンス問題の本質を見た気がした。


しかしこの本を読んで最も心に響いたのは、帯にもある通り、この本の主役として描かれている 「ギョウカン」 メンバーの在り方・闘い方だった。


不正が明らかになって破綻が明確になり、名門と言われ自分達を守ってくれるはずの企業という盾があっけなく消失していくその渦中で、誰に求められる訳でもなく、誰にほめられる訳でもなく、どんな保障や見返りがある訳でもないが、最後まで 「問題の本質を”内部から”明らかにする」 ことに必死になった人たち。
社会からも政府当局からも厳しい疑いの目と叱責を向けられ、社内からは要らぬ活動をしているとして白い目で見られ時に詰られ、必要な協力もなかなか得られず、四方八方問題だらけ。
それでも最後までやり遂げた彼らのプライドは、確かに企業人としての「誇り」だったんだろうなあと、こう言ってはなんだが、なんだか共感するところがあるというか、分かる気がした。


”企業戦士”が生きた時代に、 「人の山一」 といわれた会社で、それぞれ紆余曲折あったとしても会社に対する思いはきっと大きかっただろう。
本物の愛情というのは、企業に対しても、国に対しても、人に対しても、「あるべき姿」や「理想」を求めるものであって、決して上っ面だけの安っぽい 「ごまかし」 では通用しない。
だからこそ、会社の内部に居ながら問題を止められなかった悔しさや、他人である外部から問題を指摘される恥ずかしさや、何としてでも会社内部の人間としての責任を果たそうとする強さが彼らにはあったのではないかと思う。
いや、”強さ”ではないのかもしれない。それが彼らにとっての拠り所であり、プライドの守り方だったということなのかもしれない。
でも、だからといって誰がそれを責められるんだろうか。私はそういう痩せ我慢のような 「誇り高さ」「プライドの高さ」 が実は嫌いではない。
自分も天邪鬼なので、まあいわば同じ属性だと思う。
必要以上に共感してしまうところがあるのは、そのあたりにも理由があるんだろうなという気はしている。


もし自分が経営のトップだったら、どうするだろうか。
もし自分が問題を知る社員の一人だったら、どうするだろうか。
人間は弱い。
でも弱いという自覚があるからこそ、弱さに負けないだけの意思の強さと、それをいつでも発揮できるだけの力(客観性・自律性・経済力・行動力)を持っていたいと改めて思った。