安倍氏の一年


実は昨夜UPしようと思って大方書き上げていたのに睡魔に勝てず沈没…OTL せっかくなので一応この内容のまま更新しておく。


安倍氏辞任。


本当に突然。何の前触れもなく。安倍氏の唐突な辞任には、常に先を読みながら動いている政界の人間といえども流石に驚いただろう…。いやぁ、私もかなりびっくりしましたな。もうニュースや新聞など各種メディアでも言われ尽くしてることが多いかもしれないが、個人的にこの1年を振り返って思うところを少々。(と言いつつ長いので…w)




きっと誰もが思ったこと。「なぜこのタイミングでの辞任なのか。」あまりに不可解で、それに対する明確な理由や動機を探り出すことは難しい。歴史的な惨敗とも言うべきあの参院選の直後ならまだ理解できるが何故今なのか?結局安倍氏の1年とは何だったのか?ここは少し視点を変えて、まずは参院選の前後を振り返ってみたい。


そもそも安倍氏参院選直後に辞めなかったことには、本人の「今回の惨敗は私のせいではない」という密かな思いがあったのではないか。いや、もちろん憶測に過ぎないので、そこは注意してもらいたいが。どちらにしろ、確かに参院選前にボロボロと立て続けに出た問題自体は、安倍氏自身の責任を問われるべき問題というよりもむしろ、長年溜まりに溜まった膿が一気に噴出してきたというような印象を受けた。だから正直なところ、私も多少「安倍さんツイてないなぁ。気の毒に」という気分だった。去年の彼の就任直後にココに書いた内容を読めばわかるが、どちらかというと彼にはやや批判的だったにも関わらず、だ。


もう一点、私が彼に多少とも同情的だったことには別の理由がある。総裁選の時の話だ。自民党トップの後継者候補として飛び抜けて有力といえる人材が不足している現状。そんな状況下においてはバックボーンがかなりのアドバンテージを有していたとはいえ、史上最年少で総理大臣に就任した彼はやはりまだまだ若手である。その彼が自民党総裁選を勝ち抜くのに必要だったものは何か?それはきっと、派閥の強力な後押しだろう。そうなると、各大臣や他の重要な役職を決定する上で「実際に力を持つ」のは必然的に派閥の幹部だ。閣僚が問題を起こしたということは、確かに形式上では ――いや一般的に見れば「安倍氏任命責任」ということになるが、もし政界の裏側がこの推察通りであったならば、本当の意味では彼の責任とは言い辛い部分がある。その点に、私はひっかかっていた。


事実、参院選の後で「安倍氏自身の責任ではない」とフォローする自民党員をちらほら見かけた。それはフォローであると同時に、ある程度この推察を肯定する要素としても認められる。安倍氏に「参院選惨敗についての責任意識が実はあまりなかったのでは」と私が思った理由はこのことにも基づいていたのだ。


そんなこんなで参院選後の続投を決めた安倍氏だが、私は決して彼に同情的なままだった訳ではない。


そもそも参院選の惨敗の原因は、何だったのか。上記の通り、私個人の見解からは「安倍氏には直接の責任を認めない」とする2点 ――当然この2点も原因であろう―― の他にも、まださらにある。それは、赤城農水大臣の問題と年金問題厚労省)に関してのことだ。どちらも直接的には安倍氏の責任でなくとも、問題発覚後の安倍氏のまずすぎる対応には十分すぎるほどに責任があったはずだ。参院選の直前、まだ歴史的な惨敗を迎える前の大方の与党関係者の得票数予測はおそらく「40代前半」だったと思われる。ところが実際は「40代を切り30代にまで落ち込んだ」という結果になった訳だ。私はこの「40代前半→30代という落ち込み」の部分には、その安倍氏の対応のまずさが直接に影響を及ぼしたのではないかと睨んでいる。つまり参院選惨敗の結果に対して、「内閣総理大臣」というトップとしての形式上だけではない確かな責任が、安倍氏にはあった筈だと思うのだ。


しかし彼は自身の責任には気付いていなかったように思われる。既に述べた通り、周囲や今までの政界の状況を原因と捉えてそちらに意識を奪われてしまったのか或いは…。ともかく、「続投する」と決めた彼の内心では、内閣を一新することについてむしろ「やっと自分の思う様にできる」という意識があったのだとしても、私は驚かない。「何もしていないのに何故辞めなければならないのか」、そう思っていたとしても全く驚かない。ただただ、この時点で退陣していればまだ良かったのに、と思うだけだ。


この一年の酷い状況と厳しい先行きを理解し覚悟した上で臨むべき続投。それは、「どんなに厳しくとも投げ出すことは許されない」という暗黙の了解を前提としたもののはずだった。参院選直後の退陣するにはうってつけの好機を自らわざわざ逃した人間に、逃げは許されないのは当然のことだ。たとえ、内閣を「一新」した直後にまたもや不祥事が発覚し、更に厳しい状況に追い込まれようとも。安倍氏は耐え切れなくなったのだろうか。どこまでいっても「全く自分の思う通りにならない」この現状に。そして今更ながら逃げ出したくなったのかもしれない。今回の辞任の裏を推察しようとするも、私には、何とも情けない「逃げ」の感情しか彼からは見出すことが出来ない。



「安倍は人を見る目に欠けている。」 閣僚の不祥事が続いて任命責任云々の話が出たとき、メディアはしばしばこのセリフを出した。しかしながら、問題はもっと根本的な部分にあったように思う。彼は「物事の本質を見抜く目」と「流れを読む力」に欠けていたのだ。問題の本質を見抜くことができれば、それが他の問題にどうつながるか読めるだろう。諸問題のつながりを読むことができれば、この先の流れもある程度読むことができたはずだ。確かにこの1年は安倍氏にとって不運なことが続いたと思う。だが、結果的に自分の首を必要以上に絞め、どんどん厳しい状況へ追いやったのは他ならぬ彼自身だ。そして政界をみだりに混乱させる結果を招いたという、極めつけの責任を負ってしまった。いくら「党のため」などと理由付けたところで、それが真実であるか否かに全く関わらず、この重い責任は消えない。


安倍政権の一年。それがもたらしたものとは何か。政界の諸問題が露わになったこと?二大政党制への道が開けた(ようにも見える)こと?確かにそれもあるだろう。だが、安倍氏にとっても我々国民にとっても、あまりに皮肉な結果ではないだろうか。